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ILIADS

オリジナルストーリー『EULYSSES』に至るまでの、我々の世界との分岐を描いた前哨的物語『ILIADS』の作品解説。

   

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ILIADS-イリアッズ-

 かつて、ゴータマ・シッダルタ…仏陀の高弟でありながら、彼のもとを去った一人の僧があった。

 その者の名は、ディーヴァダッタ。

 彼は、師である仏陀の教えを絶対のものとして信仰していた。それゆえにやがて仏陀が入滅した後訪れるだろう教義の腐敗を恐れ嘆き、仏陀にサンガ(仏教派修行僧)の改革と強化し、仏陀の更なる確立を求めた。

 仏陀は彼に言った、「私は絶対存在ではない、また、私の言葉も同じである。絶対存在を求める心はそなたを、そして命ある者を悉く救いはしない」と。

 彼は、それでも諦めることはなかった。

 そして、彼に同調する者は少なくなかった。多くの弟子たちもまた、ディーヴァダッタのように、仏陀に永遠を求めたかった。

 ディーヴァダッタはある日突然、西方への伝道の旅へ共に出る者を募った。

 ディーヴァダッタの兄弟弟子、モッガラーナとサーリプッタの尽力で、大部分の弟子たちはこれを思いとどまった。

 しかし、それでもディーヴァダッタに追随した数は少なくなく、ディーヴァダッタは彼らと共に西方への旅を決行する。例えそれで後世に破門者というレッテルを貼られても構わないほど、彼の決意は固かった。

 仏陀は、最早止めなかった。

 その代わり、条件に「自分を神として崇めてはならない」ことを科した。ディーヴァダッタも、それを承諾した。そして、他のどの弟子より、最も忠実に師の教えを体現してみせると誓った。

 仏陀は、それ以上何も言わなかった。

 そして、ディーヴァダッタは賛同者の弟弟子たちとともに、西方に旅立った…。



 それから暫く経ち、インドよりも西方、ギリシャでとある学派集団が出現した。


 その全貌が謎に包まれた伝説的大哲人、ピタゴラスを開祖とする「ピタゴラス学派」である。


 彼らはソクラテスなど多くの哲人たちに影響を与えたが、その強力な影響力と才能、成長と神秘性ゆえに迫害され、程なく生き残ったものたちはギリシャを脱出した。

 西へ、西へ、西へ…

 そして、紀元2世紀、キリスト教史上異端と呼ばれた教派が地中海を中心に最盛期を迎える。

 その名は「グノーシス」。古代ギリシャ語の「認識」・「知恵」という言葉を冠するその彼らの信仰は、旧約聖書の神こそ悪と看做し、人類に知恵の実を齎した蛇は真の神域からの聖なる使者とするキリスト教史上前代未聞の考えであった。

 多数はから厳しい迫害を受けた彼らもまた、方々へ逃れた。

 北へ、北へ、北へ…

 ある者はマニ教に、そしてボゴミル派、カタリ派…しかし現代では彼らは潰えた宗教となった。

 かろうじてマンダ教が現在グノーシスの系譜をその教えの中に見出すのみである。

 最早化石となり果てた、研究対象としての思想。それが「グノーシス主義」。



 だが

 果たして

 本当に彼らは…

 




 時代は、グノーシスの存在が文献から消えて900年余り…1014年。

 舞台はヨーロッパ、イングランド諸島である。

 ヒベルニア上王ブライアン・ボルーが、ヴァイキングを撃退する。この時、「聖者と学問の島」と呼ばれたヒベルニアで、ドルイド教がなおも信仰されていたことが発覚する。

 ヴァチカンのローマ教皇は正しき教えをハイバーンランドにもたらしめるという名目で、イングランドに十字軍(クルセイダーズ)編成を幾度となく呼びかけていた。

 だが、同じころ、大陸の十字軍活動もあいまって、遅々としてハイバーンランド対策は進まなかった。

 しかしついに1171年、内乱がおきていたハイバーンランドの王の一人、レンスター王がイングランド王ヘンリー2世に救援を求めたことがきっかけで、イングランド十字軍がハイバーンランドに侵攻した。だが、ハイバーンランド上王ティアノン・オロークはこれを撃退し、以後イングランドとハイバーンランドは小競り合いが続くことになる。

 更に時代は流れ、1500年代。時のイングランド王はヘンリー8世であった。彼は次男の身でありながら、長兄アーサーの死によって王位を継いだ。兄より素晴らしい王にならなければならない、それが彼の存在理由であり、存在証明であった。

 イングランド歴代の王が成し遂げられなかった事業、それはハイバーンランド征服であった。ヘンリー8世は己の正当性を内外に知らしめるために、何度もハイバーンランド征服を試みたが、上手くゆかなかった。その上、後継者たる男児に恵まれず、離婚問題も抱えていた。

 そこへ、一人の隠者が王族教育家クック家を通してハイバーンランド客人としてヘンリー8世のもとを極秘に訪れていた。名を、フィネガス・イニスと称した。フィネガスはヘンリー8世に、ある「知恵」を授けに来たと告げる。

―私は貴殿のマーリン(ドルイド)となるべく真の神より遣わされし者、国王よ、貴殿こそ真のアーサー王なり

 ヘンリー8世は、自身を首長とする「国教会」を、フィネガス・イニスの知恵に従い設立した。ハイバーンランドの習俗を守ることを引き換えに、フィネガスはさらにヘンリー8世にハイバーンランド上王位を委任し、ここに歴史上初めてイングランド史上初めてハイバーンランド王となった王が誕生した。さらに、「最果ての国」トゥーレランドとも同盟関係を結んだ。

 フィネガス・イニスにはその功績としてバーン=ブレイクの名を許し、マグメル伯爵位を与え、イングランド貴族として厚遇された。

 ヘンリー8世が死に、幼くして王位を継いだエドワード6世も早世すると、カトリック教徒であるメアリー女王はカトリック回帰政策を実施、国教会派の弾圧を始めた。ハイバーンランドとトゥーレランドは反発し、フィネガスの後継者、カイル・ハミルトン・バーン=ブレイク第二代マグメル伯爵は殺害され、イングランドと一時期決裂した。しかし、彼女の治世もまた長続きせず、病のために亡くなると、その妹で国教会派のエリザベスが王位に就いた。

 彼女のもと、再びハイバーンランドとトゥーレランド、更にはスコットランドもイングランドとともに歩むことになる。カイルの後継者、エリック・ガスコイン・バーン=ブレイク第二代レアリー子爵がが第三代マグメル伯爵を襲名し、女王のドルイドと呼ばれるほどの信頼を得、イングランドはスペイン無敵艦隊をも撃破し、名実ともにヨーロッパの大国となった。

 しかし、その晩年、以前より王制に限界と不満を感じていた女王は、王制を否定し、イングランド真の繁栄のために公帝制という新制度をエリックの助言のもと構築していく。イングランドが他国よりも優位にこれから先もあるために、「知恵の国」である必要があるとして、統治者を大学の教授らによる選出方式に改めることにした。また、全ての国民の学力の向上を図り、義務教育制度を確立させた。

 こうして、エリザベス女王はイングランドを「王を持たぬ、血より解放されたる真の聖者と賢者の島」というイギリスという国へ作り変え、この世を去った。

 以後、イギリスは繁栄を続ける。

 


 さて、それから200年ほど経過した、日本では…

 田沼意次という一介の老中により改革が行われ、日本はそれまでの鎖国政策から開国政策への転換の是非を問われていた。後継者で長男の田沼意知暗殺事件が未遂で終わったが、この時捕えられた主犯佐野政言の証言により鎖国派の立場は失われ、開国に向けて大きく舵を取った。

 そして開国に向けて、その見本として協力を仰いだ最大の国が、イギリスであった。イギリスもまた、同じ島国であり、また知恵を愛する日本人に対して援助を惜しまなかった。

 日本はイギリスを手本としながらもそれをそっくりそのまま猿真似するのではなく、封建制度を改革し、民主主義国家となる。

 やがて年月が流れ、両国は東西の海洋国として世界を牽引する大国となっていく。
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